last update 2003.06.01


5月31日(土)かぎ爪が、今でも僕の胸を。

◆大阪の街は暑い夏。
僕は妻とサンドイッチのランチ。そのあとひとり、南港のテント劇場で芝居を見た帰り、僕は誰もいない南港の街路樹の下、アスファルトを孤独に歩くカミキリムシを見た。
◆僕の胸が、またうずく。
昆虫マニアで、将来は昆虫学者になるのが夢だった子供の頃の僕。だけど10代のある夏、昆虫を狭い飼育槽に閉じこめたり、あるいは故意に殺して標本にしたりする、そんな自分がイヤになり、僕は昆虫を追いかけるのをやめてしまったのだ。
◆そう、恐ろしいことに、あの頃まで僕は、いつも自分のポケットに、「毒ビン」と呼ばれる試験管を持っていた。その試験管の底には、特殊な薬品を染みこませた綿が敷き詰めてあり、僕は珍しい甲虫を見つけたら、直ちに捕まえてそのビンに入れた。殺して持ち帰り、標本にして、木箱に飾るのが目的だ。僕は彼らの生命に興味もなく、ただその美しい、不思議な体の構造を観察することにのみ熱心だったのだ。学術ではない。趣味だった。大量の昆虫を殺した僕に、どんな気配が渦巻いていたことだろう? 僕が近づくと、いつも、どんな犬も、吠えてかかった。毒の香りが憎まれていたのかもしれない。
◆あれから、20年経った。日本の甲虫の名前ならほとんど全種そらんじていたはずの僕なのに、もう、その茶色いカミキリムシが、なんという種類なのか思い出せもしない。どうせ人間が名付けた名だもの、彼には関係ないことだけど。
◆僕はそのカミキリムシを、誰かの靴底が行き交うかも知れない危険なアスファルトから持ち上げて、街路樹につかまらせた。彼は樹の天辺に向かって登ってゆく。
◆僕の毒ビンの中で苦しみ痙攣する昆虫たち。そのかぎ爪が、今でも僕の胸を、内側からひっかいている。



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