折り紙にも「設計」という手法があるけれど。
脚本にも、設計手法が存在する。
「こことここに、これくらいの盛り上がりのアクションシーンを入れる」
「笑いをここに入れる」
「その笑いは同時に、伏線になっている」
「このアクションシーンは、同時に、主人公とヒロインの絆を深める」
……てな具合に。
技術的なコト言えば、まあ、絶対に素人には不可能な、大量かつ精密かつ複雑な計算をして、しかもそれを、全体として統一された、ひとつの物語にするわけだ。
ハリウッド映画の多くはこのような手法によって脚本が完成される。
観客たちは、「ハリウッド映画は単純だ」とか言ってるけど、まあそれは、たとえば航空機全体のフォルムが単純なのと同じで、ちょっとやそっとでは完成しない単純さなんだ。
今ハリウッドの設計手法は、折り紙と同じく、かつてないレベルに上昇しようとしている。
エンターテイメントとしての設計のレベルは保ちながら、
そこに、哲学や文学をも、設計的に取り込もうとしている。
これがなかなか難しくて。
文学を投入すると、あまりに設計要素が多すぎて、全体のフォルムが崩れたりしてしまうんだ。でもいくつか、成功する作品も出現しはじめてる。
ところで、僕、脚本書くにあたって、劇団時代は、
この設計手法によって執筆することが多かった。
それなりにできのいいのも作ったんだけどね。
でも最近、ほとほと「向いてないなー」と思ってさ。
なにしろ、書くのに時間かかりすぎるんだ。
プロット組むだけで、もう何ヶ月もかかったりするんだよ。
1行も書かないまま、延々、設計。
よく人に、
「今どれくらい書けてんの?」
って聞かれたけど、答えるの嫌でさ。
「……うん……半分くらいかな……」
とか、あやふやに答えるんだけど、見た目には1ページも書けてないんだもん。
でもそんなこと、いちいち説明してられない。
「今何ページくらい?」
って聞かれた日には、もう!
アンタ! 1ページでも書き始めてたら、全体の作業としては、
80%を越えてるんだ!
……って言いたいけど、言えない。言い訳にしか聞こえないから。
そんな具合に、
設計手法で脚本書くのは、ツライこと多い。
実際、折り紙と一緒で、僕、設計、向いてないんだ。
できなくはないし、やれるし、いやもう正直、設計手法で脚本書かせたら、僕くらい精密に書ける作家は少ないと思うんだけど……でもツライ!
そんで、3年くらい前から、
設計ではなく、最初から順番にプロットを立てる書き方をしはじめた。
ヨーロッパ映画はこの手法で作られること、多い。
そのかわり、才能がないとこれ、なかなかいいの、書けないんだ。
自分に才能ないと決めつけてた僕は、そんなわけで、敬遠してたんだよ。
「俺は才能のなさ、技術と努力で乗り越える!」
って思ってたからさ。
……ところが、まさかと思ってたんだけど、
結構、最初から書くやり方、僕、向いてるかもしれない。
そんな感触があるんだ。
なんてこった。